雑記
このブログサイト開設してからもうじき2年かぁーというのと
僕の公式サイト開設した日付は忘れたものの、多分GMOドメインの前身サイトも含めれば3年前になるのかなーとか
調べたら、半透明狐人間がインターネットに初めて現れたのが2019年のクリスマスイヴで、ああもう3年も生きたんだとか
そういうことをおもう今日このごろ
最初の半年はやや問題起こしたり、各所で暴れ回っている問題児でした。懐かしいね。
このブログサイトもいつの間にか「有用な記事」しか投稿しなくなって、ほぼQiitaや旧ブログサイトと変わらない状況にある今日このごろ
従いましては、ここいらで「このブログサイトは半狐個人が自由にあれこれ言う所であって、有用な記事だけのサイトではない」という事を示すべく、雑なページを挟んでおくのでおじゃりまする。
とりあえず、深夜テンションで寝るまでの数十分、平沢師匠の曲を聴きながら、ガーって書きおえてしまおうとおもう。
深夜テンションなので、口調おかしいのは、うん、察して。
気づいた、WordPressで新規の行に「———–」を入れると、セパレータが挿入される。便利だ
早々ネタが尽きた。
ここいらで半狐の昔話でもしておく?
前身半狐について語っておこうかしら。
元々半透明狐人間というのは、とあるソフトウェアレビューサイトでレビューを投稿するために作成したアカウントが全ての始まり。
名前の由来はTwitterでも何度も話したと思うけど、現実での影の薄さと、この頃はまだ未覚醒で気付いていなかったのだけど、うっすらと感じていた狐の気配から名付けられたものなのね。
とにかくネット上で被らない事を最優先に考えた名前だったから、長いし奇妙だし。アメリカ人がみたらきっと中国人と間違うような漢字だらけの名前。
当時は被り回避優先だったから、まさかこんなに広く長く使われるとは思っていなかったのよね。
この名前はそのソフトウェアレビューサイトを飛び出しWikipedia、Yahoo! 知恵袋等で使われ始め、2020年についにTwitterデビュー。
このころはまだITアカウントで、自由ソフトウェアに関するツイートをよくしていた。
で、ある時ふとのえるさんの画像が流れてきて、アイコンが可愛かったし、絵柄も素敵だったし、ITアカウントだった僕がどういう訳かのえるさんをフォローしてしまった。何でだろうね。運命か何かかしら。
それから色々あって、のえるさんに今の僕をデザインしていただいた。色々に関しては、長くなるというか、後でゆっくり語ろうかしら。とにかく毎日が楽しかった。
ここまでが前身半狐のお話。
「前身」とは何かって? これもまた複雑な事情があったりなかったりなので、ここでは割愛するし、今後もしばらくは言わないでおく。とにかくややこしい。
今回はここいらで終わろうかしら。続きはまたゆっくりお話しするわね。
気づいた。セパレータを入力するには「—」で十分だった。